現在のユーラー
みなさま、はじめまして。ユーラーと申します。
日本では駆け出しの音楽家、そして経験値を積もうとウクライナのハリコフで音大の卒業証明取得を目指す30歳を越えた留学生です。
僕は22歳で会社に就職し約1年9ヶ月勤め、1度転職をしました。
転職先を半年で辞め、音楽家になることを目指します。
転職先を辞めた後、サラリーマンを辞め、音楽家の師匠に弟子入りし、人とは違う人生が始まります。
そこから4年の修行をし、その師からたくさんの基礎を学び、血肉とさせて頂いていますが、残念ながら音楽家として生きていく上での考え方に対して方向性が異なり、自ら破門の選択肢を選びます。
そして、自分の状況を理解してくれる新しい師と出会い、その出会いをきっかけに音楽家としての仕事をさせて頂けるようになり始めます。
しかし、まだまだ未熟な部分が多く、思い切って海外の音楽大学留学をしにウクライナに旅立ちました。
まず1年間は語学をしっかり学ぶ…はずが2020年3月からコロナで学校は休学。
どうにか全てリモートで授業を受けて語学大学を卒業できました。
現在、日本にも帰れず、音楽も出来ず、貯蓄したお金だけが減っていく日々に耐えかねて、少しでも収入を得るべくWEBライターとブログを始めることにしました。
Twitterとnoteでも情報発信をしています。
・Twitter https://twitter.com/yura20207
・note https://note.com/yu_ra_ukraine
今、たくさんの方の協力のお蔭で夢に向かって全力で走っています。
でもそれは最初から望んだ道ではありませんでした。
僕は社会人時代、2つのことを学びました。
・お金がないと人は心に余裕がなくなる
・自分の流儀に反した生き方は生きている心地がしない
この結果、音楽家という職業を目指すことになりました。
僕のプロフィールを読んで、自分も何かできるんじゃないかという希望を見つけれてもらえれば嬉しいです。
お金がないと人は心に余裕がなくなる
まずは「お金がないと人は心に余裕がなくなる」という体験についてお話します。
いきなりですが、僕は別に小さいころから音楽家を目指していたわけではありません。
全然音楽一家でもなく、特別なことをしていたわけでもありません。
なんなら小さいころは別に夢もなく、つまらない”普通の子ども”でした。
中学生の時から吹奏楽部に入りましたが、これも年上の幼馴染がやっていて誘われたから入っただけ。
そもそもは兄がやっていたバスケットボールをしようとしていたぐらい。
そんなわけで普通に22歳で大学を卒業して、普通に就職もしました。
関西出身なので関西にいたかったのですが、東京が初の勤務地となってしまってそこから求めていた”理想”からズレていくことになります。
仕事の厳しさ、いやブラックさというものをまるで分かっていませんでした。
朝8時から22時まで働いて残業はなし。
手取りは16万。関西から東京に来たというのに家賃手当もなし。
入社して1年が経ったころ、同じ会社で30歳の先輩で手取りが22万だと判明。
35歳でリーダー職の先輩が手取り25万。
この先10年必死に働いてもたった25万なのかと思うとゾッとしました。
これが「ブラック」というやつか、と思いました。
会社の人との付き合いは楽しかったけれども、自分も会社の先輩もみんなお金のことを気にしてけちけちしていることに嫌気がさし、さらにそれが10年以上続くことを考えると辛すぎて、転職を決意します。
人を初めて騙した時の罪悪感
未だに記憶に残っている演技があります。
東京にいながら大阪での面接の約束をとりつけました。
けれど、絶対に普通には休めない。転職の面接なんて口が裂けても言えない。
だから僕は会社を騙しました。
面接の1週間前から会社で少し軽い咳込みをし始めて、面接の前日に体調不良を装い、同期や先輩から「ユーラーもう今日は帰った方がいい。しっかりと休め」と言われて帰社します。
そしてその夜、夜行バスで大阪に向かいます。
大阪に朝6時ごろについて、会社に風邪を引いたから休むと連絡をすると、「やっぱりな。いっつも120%で頑張ってるから、お前のことだから休んでも客のこと色々気にするだろうけど、気にしなくていいからしっかり休みな、携帯の電源切っとけ。」とリーダーが優しい言葉をかけてくれました。
同期からも「お前大丈夫か?体調ずっと悪そうやったもんな。無理すんなよ。」
・・・胸が痛かったのを今でも覚えています。
体調が悪い演技をしていたつもりですが、もしかしたら精神的に病んでいて、それが体調不良に見えていたのかもしれません。
いずれにせよ、人を計画的に騙したのはこれが最初だと思います。
きっとこの時の罪悪感があるから10年近くたった今も鮮明に覚えているのでしょうね。
お蔭で面接は無事に受けられ通りました。
そして1社目を退社します。
自分の流儀に反した生き方は生きている心地がしない
次に「自分の流儀に反した生き方は生きている心地がしない」と分かった体験について話していきますね。
転職した会社は給料は良かった。
残業代もちゃんと出た。
でも2社目は道徳的に大きな問題があったのです。
それは売っている商材の契約内容で嘘をつくことが日常茶飯事だったこと。
相手は夜の水商売をやっているような営業先もあり、人の話を半分くらいしか聞いてないお客さんもたくさんいました。
それを逆手に取ったのです。
新規開拓営業で、ノルマがあるため会社も1件を取るのに必死でした。
その結果、上司の命令でそのような手法で”契約を取ってこなければならない”、という状況が起きていました。
お客さんに嘘をつく自分。
会社上層部に嘘をつく上司。
まさに嘘の付き合い。会社も社員を疑いの目で見て、荒さがしをする毎日。
シンプルに、ひどい環境でした。
生きている中で人に嘘をつくことはしたくない。
正直に生きていきたい。
筋の通らないことは決してしたくない。
1社目でついた嘘が苦しかったのに2社目ではそれが日常茶飯事…自分がおかしくなりそうでした。
そして2社目ではこの苦悩に耐え切れず辞めることを考えます。
夢を追う決意
次はどこに転職するか…。
でも、これじゃきっとまた転職しても同じことが起きる。
そう思うと視野の狭かった自分は、そのストレスに耐える自信がなくて死をも考えました。
何より、
こんな黒い世界で生きたくない。
素直に生きることがなぜ許されないんだ。
そう強く思いました。
色々悩んだ結果、自分にラストチャンスを与えることにしました。
もう一度だけ、もう一度だけ生きてみようと。
もしこれでダメだったら、生きられないなら死のう。
そして、始めたきっかけは適当な理由だったけど、やってることが楽しくて中学・高校・大学と自分に充実した時間をくれた”音楽”を信じて音楽家になることを決めました。
その結果、5年後、僕は音楽家としてプロデビュー出来ました。
小さいころから夢のある人って良いなって思っていました。
大人になったらもう夢なんて追えない。見つけられない。
東京にいた頃の僕はそう思っていました。
でも、今はそんなことないって言えます。
今からでも夢は見つけられる!!
少なくとも僕は25歳で夢を見つけました。
大切なことは夢を追えるかどうかではなく、夢を追いたいかどうかだと思います。